人類の歴史の中で、長い間女性は男性に選ばれる存在だったと言えます。ところが近年、女性が社会進出したことによって、女性も主体性を持って男性を選ぶようになってきました。その社会にあって、薄毛への評価も変化したのでしょうか?
見られる・選定される男性
男性はいつも選ぶ側の立場にいました。ところが戦後の高度経済成長を迎え、女性も働くのが当たり前となった近年では、女性が経済的に自立し結婚しないことを選ぶ人も増えています。
すると今まで選ぶ側だった男性たちは、選ばれる立場、見られる立場となり、「見た目」を意識せざるをえないように。
服や靴、腕時計や車など、持ち物はグレードアップできても、髪型や体型、皮膚などは持って生まれたものがあります。より「見た目」を重視される昨今にあって、男性が薄毛を気にするのは、見られる側・選定される側になった恐怖からくるのかもしれません。
「薄毛は気にしない」のが解決法か?
容姿を気にかける男性が増えた一方で「ハゲはカッコいい」「堂々としていればいい」「薄毛を気にする方がおかしい」「気にしないのが1番」という、一見前向きな意見もあります。
ところが、本当に悩む人たちにとって「気にしなければいい」と叫ぶだけでは解決になりません。
薄毛を克服するには、ハゲを恥じず隠さず、堂々と表明してポジティブに生きろという精神論に他ならないからです。
「気にしない」ようにしたとしても、実際心のどこかでは「気にしている」人が多くいるのでは、根本的な解決とは言えないのではないでしょうか。
実は根が深い薄毛の問題
このように、薄毛を気にしている人に「ポジティブに自分らしく」と励ましたところで、髪の薄さは解決されないために根本的な解決には至りません。
自分が気にしなくても、周囲の自分を見る目に少しでも薄毛に対する偏見があれば、嫌でも気になってしまうからです。
そこには、自分自身の精神的な問題と、薄毛に対する社会的な評価のどちらの問題も潜んでいるように思われます。
薄毛の問題は、悩んでいる本人だけでなく、社会全体の実は複雑で根が深い問題なのかもしれませんね。
※ハゲを生きる P7-10