例えば俳優やモデル、プロスポーツ選手などは身体上の特徴が職業に大きく影響していると言えるでしょう。服装などの身だしなみは、職業に限らず社会人の基本的な要素として重要視されています。その中で、薄毛はどのように捉えていけばよいのでしょうか?
外見と社会的規定
「人を外見で判断してはいけない」という道徳的な教えはあるものの、社会的に強く規定されている外見の問題はあるようです。太っている、痩せている、カッコいい、美しいなどといった社会的規定に多くの人が強く影響されています。
薄毛も当然、その人の特徴を表す外見となるため、年齢とともに薄くなる頭髪を気にせざるをえない訳ですね。
テレビやインターネットにも薄毛を対象にした広告は溢れており、「もしかしたら」という期待を抱かせるのは、社会的に規定された外見を保ちたいという心理からでしょうか。
努力や投資で外見は何とかできる?
科学や医学の進歩により、今や身体的なコンプレックスさえ努力や投資次第で何とかなるものという意識になっているようです。
しかしそこは生物である故に、限界があるという問題も抱えています。ダイエットにしても身長や筋肉にしても、改良可能な範囲は限られているのです。
ところが人間の欲は深いもので、老いや死といった克服困難なものさえ「問題」として取り組んでしまいます。
加齢による薄毛も、老いと深く関わっている故に、克服し難い問題です。マニュアルがない問題に解決策があるのでしょうか?
マイナスイメージからの出発?
ハゲは一般的にカッコ悪いもの、好ましくないものというマイナスイメージで認識されています。薄毛になるということは、このマイナスイメージを背負って生活するという恐怖と戦うことなのかもしれません。
育毛剤やカツラ、植毛など、最近ではさまざまな手法もありますが、決して元には戻らないという「不可逆性」、薄毛を隠す現実的で有効な「隠蔽性がない」、そしてカツラやスダレ頭は「笑いの対象となる」という問題を抱えているのです。
さらにはある程度年齢を重ねてから起こる変化であるだけに、それに対する「耐性」が自分の中にありません。薄毛はこうした社会的な外見の束縛によって悩みの元になってしまうのですね。
薄毛の問題は外見の問題です。どうしても見た目によるイメージは払拭できないために、徐々に薄毛になっていく自分に悩むのでしょう。
※ハゲに生きるP11-14