植毛術の最先端は明治時代の技術にあり?植毛の歴史をたどろう

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現在も繊細で難しい施術である植毛術ですが、ルーツは明治時代の技術にあるそうです。1939年に世界初となる植毛術の論文を発表したのは日本人でした。世界的な植毛術の歴史を見ていきましょう。

昭和初期、日本の研究

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太古の昔から薄毛は多くの男性を悩ませてきました。昭和のはじめ、奥田正二という医師が植毛術の研究をしており、当初は火傷などの病気で毛髪を失った患者に対して行っていたようです。
それは、残っている部分から毛を移植する方法で、様々な実験を繰り返したそう。1939年には医学論文に発表し、世界初の植毛術に関する論文となりました。

その後、田村一氏がこの技術を改良して、現在最先端とも言われる「毛包単位移植」の手法を見出して論文を発表。1943年のことでしたが、第二次世界大戦や論文が日本語表記であったこともあり、長い間忘れられてしまいました。

戦後の植毛術

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1959年、アメリカの医師が「パンチグラフト(円柱状植毛)」という手法を報告し、世界が衝撃を受けました。これは、直径4㎜程度の円形のメスで後頭部の頭皮を毛根ごとくり抜き、薄い部分にあけた一回り小さな穴に差し込むという方法でした。
医学界でもあっという間に世界中に広まり、日本でも1970年頃から取り入れられています。

長らく「パンチグラフト」は主流でしたが、1度に移植できる量に限りがあること、植えた毛の周囲の毛は脱毛が進行するために不自然となることから、色々な方法が開発されてきました。

試行錯誤の末、明治時代の技術を応用

パンチグラフトの欠点を補うべく、その後後頭部を帯状に切り、前頭部に移動する「ジュリーフラップ」が主流となりました。ただし、この方法は毛の流れが不自然となるため、1980年には日本で「遊離非弁」が発表。毛の生える方向まで考えられた方法ですが、難易度の高い方法となりました。

熟練の手技が必要だったため、当時日本に手術を受けたい人が殺到したといいます。しかし、この方法はできる医師が少なく、結局はまた「パンチグラフト」の手法に戻ってきました。
少しずつ改良され、結局はグラフトサイズを毛包単位にまで分けて株分けする、明治時代からあった手技に限りなく近い方法となったのです。

植毛術にも試行錯誤と歴史があるのですね。最先端の技術が明治時代には行われていた技術だというのも驚きです。まだまだ植毛術も進化していきそうですね!

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